家族は人類最小のコミュニティ
古川家が家族とともに生きていく上でのテーマでもあります。この考え方へ行き着くには、いくつかの転機がありました。
これからの生き方については、結婚当初から夫婦で何度も何度も話し合ってきたことです。
おぼろげながらに形が見えてきていた中、決定的だったのは2011年の震災でした。
2011年3月11日。娘がうまれて、もうすぐ1年という頃。
唐突にそれまでの日常が変わってしまいました。その時の光景は今も鮮明に覚えています。
当たり前と思っていたことが脆く崩れる。それが特別なことではないと思い知らされました。
それでも生きている限り、時間は進み、立ち止まらずに暮らしていかなければなりません。目の前にいる未来を守っていくためにも。
ここぞという時に団結できる存在。古川家にとってはそれが家族でした。
ものごとには優先順位があると思います。いつ、どこで、だれが、なにを、どうやって。
古川家が最も大切にしていることは「だれと」です。
絶対と言えるものがなければ、何を軸にして生きていけばいいのか。
不確定な未来への不安をいくら募らせても、答えはありません。
孤独なら簡単に折れてしまうかもしれません。しかし、誰か心から信じられる人がいれば。
この人とだったら前に進もうと思える。そんな存在がいれば、恐れは薄れるはずです。
人が人と関わって生きることは、人として生きる条件と言えるかもしれません。
最も信じ、支え合う存在が家族。
それが古川家にとっての信条であり、大前提です。
かといって現状にあぐらをかくのではなく、各々が互いに大切だと思えるよう成長をしていこう、経験を共有していこう、という心構えと敬意があって成立すると考えています。
くらしをなりわいに
どんなことも家族で取り組む。
そう軸を決めてからは、暮らしと仕事というバランスについても改めて明確にしました。
今の社会で、日々の暮らしには避けて通れないものが多々あります。
暮らしとは何だろう?なぜ働くのだろう?
古川家が出した答えは、その境界をなくすことでした。
暮らしそのものを仕事に、仕事がそのまま暮らしの支えになる。そんな取り組みを増やしていこうと決めました。
そこで最初に始まったのが、料理研究一家「古川家」です。
暮らしも仕事も分けず、人として生きる過程と考える。
そうすることで、何を受け入れ、何を断るのか。その基準がどんどん明確になっていきました。
どちらか迷ったら、どちらも選ぶ
ただの欲張りと思われるかもしれませんが、何かを得たら何かを捨てるというのは残念なことです。
捨てたものが捨てたくなかったものなら、なおのこと。
本当にひとつしか選べないのか?両方を選ぶ方法は他にないのか?
古川家は諦めずに何とかしようとギリギリまで粘ります。
アイディアというのは、不思議とそんな複数の問題を解決したいときにこそ生まれるもので。
暮らしと仕事の境界をなくし、すべての過程を家族の営みとして捉えるからこそ、そんな考え方になるのかもしれません。
結果的に家族としての決断に後悔はなく、決まってからの加速が良くなります。
納期は一生
古川家のゴールはどこなのか?活動をいつまで続けるのか?
どんな経験にも無駄はないと考えるからこそ、遠回りになることもあります。
選択肢を捨てず取り組むことで確かに時間はかかります。
それを受け入れられるのは、古川家として完成する納期を一生と決めているからです。
学び続け、成長を続けること一生涯。昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも来年。
過去の自分たちと向き合って成長を少しでも感じられれば、それで良し。
ながい時間をかけて蒔いた種から花開くとき、自分たちにとって最高の喜びとなるでしょう。
それが古川家という生き方なのです。